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いろは丸 (いろはまる)は、明治時代に東京に存在した舟運会社・航運社が所有した蒸気船である。同名の船が4隻(「第一」から「第四」)存在し、1882年(明治15年)から利根川水系を経由して東京と小見川・銚子・鉾田を結ぶ航路に就航したが、地元舟運会社との競争に敗れて1884年には航路を撤退した〔第三章 いろは丸の登場と衰微の予兆 - 木下まち育て塾(木下河岸物語)〕。 == 概要 == 航運社は、1882年9月に林千尋ら5人によって、東京府神田区猿楽町に設立された〔〔『川蒸気船銚子丸の誕生とその終焉』木下まち育て塾、2011年10月30日、9 - 10頁。〕〔『印西の歴史』第三号、印西市教育委員会、2001年3月、32頁。〕。3ヶ月後の12月の航路開設時にいろは丸は2隻(「第一」「第二」)が就航した〔。2隻のいろは丸は従来二日間を要した東京・下利根川都市間を一日で結んだ。翌1883年には銚子、鉾田まで航路が延長された〔。 この当時、利根川水系には銚子汽船、吉岡廻漕店、内国通運などの舟運業者がすでに存在していた〔明治20年ごろの利根川の海運・交通について - レファレンス共同データベース(千葉県立図書館)〕〔第二章 木下の蒸気船概要 - 木下まち育て塾(木下河岸物語)〕。いろは丸はそれらとの競争にさらされることとなり、結局就航から2年後の1884年末をもって運航を終了した〔。 航運社では、航路に接続する形で利根川右岸の花野井(現・柏市)と江戸川左岸の加(現・流山市)をドコービル式鉄道で結ぶ計画を持っていたが、航路の撤退により実現しなかった〔第四章 ドコーピル鉄道計画といろは丸 - 木下まち育て塾(木下河岸物語)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「いろは丸 (航運社)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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